ユニバーサル・リアルティ株式会社
玉岡 一央(たまおか かずふみ) さん
ユニバーサル・リアルティ株式会社の玉岡さんは、2023年3月に『ビジネスで大切なことはみんな吉祥寺の焼き鳥屋で教わった』という本を出版されたり、「吉祥寺ランニングクラブOHANA」というFacebookグループを作られたり、多方面に活躍されています。今回は本職の不動産業についてお話を伺いました。
「ハイブリッド起業」とはどういう起業なんですか?
年前の2020年10月1日にユニバーサル・リアルティという会社を作りましたが、それと同時に、父親の焼き鳥屋の常連さんだった方が不動産会社の社長で、その会社を第三者承継する「二足の草鞋」を開始しました。その不動産会社は約60年吉祥寺で不動産業を行ってきましたが、後継者がいない。事業承継の方法のなかで、よくある株式を売買して、ある日から急に社長が変わるという形ではなく、「玉岡くんが起業して事業をしながら、徐々に引き継いでいってくれないか」という話で始まりました。私も自分がゼロから会社を立ち上げるのには不安があります。だからと言って、いきなりその古い会社に入って、前職より給料が下がってしまったり、引き継ぎがうまくいかないと困ります。つまり、自分が会社を起こしてゼロから始める不安もあれば、引き継ぐことの不安もある。その不安をどうしたら消せるか?その答えが「両方やる」でした。ただ、私はサラリーマン時代、三井不動産リアルティ株式会社(三井のリハウス)で主に個人向けの住宅売買営業を行ってきました。第三者承継をする会社は、店舗を専門とする法人向けの賃貸営業を行っており、病院で例えるなら、内科と整形外科のような違いがありますので、ゼロから勉強することも多く、順風満帆とはいきませんでした。
第三者承継中だと思いますが、どのような進捗ですか?
承継している会社には、2020年までインターネットがなく、「ファクシミリ(FAX)」というのを使っていました。それで、まずネットの回線を引きました。これはけっこう不動産業ではよくある話ではあります。起業する前に調べたところでは、不動産業全体の90%が10人未満の会社です。その10人未満の会社で廃業してしまうのは、ほとんどがインターネットも使っていないような会社なのですが、廃業されてしまうと、そこに依頼していた家主さんは困ってしまいます。建物をリフォームしたいとか、台風で屋根が飛んだりしても、どこに相談したらいいのかわからない。新しい会社に依頼したら、お金の話ばかりされて困ってるという大家さんはたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?インターネットの回線を引くことは、若い人にとっては「なんてことないこと」かもしれませんが、それがけっこう役に立ったりします。私はそういったことが「得意」なわけではないけれど、「苦手」ではないので、まずはネットの回線を引くことから始めました。これまでは固定電話とFAXでやりとりしていた大家さんも息子さんの代になりデジタル化していきます。そうなると、固定電話とFAXだけでは通用しなくなっていきます。なので、ちょうどギリギリのタイミングでネットに移行できたかなと思います。承継途中の会社は60年の歴史があって、サンロードやダイヤ街、元町通りなどにたくさん大家さんがいます。その物件が空けば募集して、それをきっかけにいろんな法人さんとマッチングして、お互いに妙な競合をせず、得意分野を活かした形でスタートができました。起業から5年を無事に迎えられそうではありますが、まったくのゼロから自分だけでやっていたら、相当に苦労しただろうなと思います。
その不動産会社の人と知り合ったきっかけは何でしたか?
父親の焼き鳥屋の常連だった方ではありますが、私が深く知り合ったのは父が亡くなった後です。お店が無くなった後、年に何回か常連さんの集まりがあって、そこでお会いして話をするようになりました。本当は3年ぐらいでその不動産会社を引き継ぐ予定だったのですが、5年経ってもまだまだお元気で仕事をされています。もし私が役員になっていて、自分の会社をやっていなかったとしたら、まだ独立することができていないことになります。これは、事業承継ではよくあることかもしれません。
ご自分の会社のほうはどうですか?
起業して最初のうちは前職の会社のお客さんからお声かけいただいていたのと、運良くサラリーマン時代のコネクションで沖縄の軍用地の投資物件を扱わせてもらえることになり、ちょうどコロナ禍で飛行機での移動がしにくい時期だったので、沖縄の現地に行けない関東圏の方からのご依頼をいただくことができました。その売買がうまくいき、承継途中の会社も引き継げて、どっちもうまくいきそうだと思っていたのですが、承継した会社のほうは、前述の通り、良い意味でなかなか引き継げず、軍用地の売買もコロナが明けてみんな沖縄の現地に行くようになって、前職のコネクションもなくなってきて、会社の経営はピンチに陥りました。
そのピンチをどうやって切り抜けたんですか?
YouTubeの撮影で東海道五十三次を旅したり、軍用地の案件で沖縄に行ったりして、外から吉祥寺を見ることで、吉祥寺のこれからの課題が見えてきました。「吉祥寺もチェーン店だらけになっちゃったね」ってよく言われますが、東海道五十三次の宿場は建築物のデザインがほぼ同じで、宿・お茶屋・ご飯処・飲み屋など、お店の構成もほぼ一緒で、どこも似てるんです。東海道は日本で最初の「旅ブーム」の道で、ほかの街道(甲州街道・奥州街道・日光街道・中山道)は、東海道の影響を色濃くうけた街づくりになっているのだと思います。同じような造りの町のほうが、旅人は安心するのでしょう。それは今の時代にもあって、街の個性とか個人店を残そうと言っても、時代の大きなうねりは変えられません。私の父親のお店があったハーモニカ横丁も老朽化が著しく、雨漏りしていたり、いつ火事になってもおかしくない状態です。それを昭和〜平成には放置していましたが、令和になって、安全性やコンプライアンスの問題で大手は借りられなくなり、店舗も借りる基準が厳しくなり、法律も厳しくなってきています。そういった課題があることがわかってきたので、吉祥寺の街に根っこを生やして、不動産屋としてちゃんと引き継げるようになりたいと思いました。吉祥寺の街の店舗を紹介するYouTubeを作ったり、SNSをやったり、本を出したり、商店街の方と繋がりをもつようにしたところ、事業が好転し始めました。そこで気づいたのは、小さい会社ほど大手ができない尖ったビジネスをすることが大事だということです。それは父親のやってた焼き鳥屋でもそうでした。太鼓を叩くとか、お酒を点数制にして一定以上飲ませないとか、父親のやっていた「尖った経営」を自分でも意識するようになりました。お客様に対しても、大手感覚で「満遍なく、平等に」と考えていたのが、「いやいや、私のことを気に入ってくれてる人に対して、しっかりサービスしよう」と。自分も吉祥寺の街を好きになって街のためにいろいろやっていけば、必ずそれを見ていてくれる人がいて、応援してくれます。昨年の事例集に書いた「吉祥寺ランニングクラブOHANA」も、そういったコミュニティーが吉祥寺にあって、地域の繋がりができる。隔たりのあるサラリーマン社会と地域社会を繋げていけるような役割を、私たちのような不動産業が担っていけるのではないかと考えるようになって、やっと少しずつ本当に街を引き継げるようになってきたような気がします。
玉岡さんの今後の課題は何ですか?
起業から5年経って、自分に何かあった時に、誰かに引き継げるようにしておかないといけないと思います。属人的にひとりでやっていることを、誰かがすぐにやれるように準備しながら、事業を作っていかないといけない。
人を雇う大変さもあって難しいところなのですが、自分の会社も売上が上がり、そこに引き継いだ会社の安定した売上がプラスされるなら、確実に二人以上の力がないと回らなくなります。それが正社員なのか、外部から役員として入ってもらうのか、スポットで手伝ってもらうとか、会社を退職した後の働き口にするのか、あるいは就職氷河期世代の課題解決になるような会社になるにはどうしたらいいのかをずっと考えています。
また、人間の寿命と健康寿命を近づけるには、働くことと人との繋がりが大事です。それには居場所作りが必要だと思うのです。不動産の仕事を通じてそれができれば、吉祥寺の街にとっても良いことではないかと思います。人は夢がないことに慣れちゃってると思うのですよ。先日、「7つの夢R」というレンタルスペースを作りましたが、出会いがあり、人と人とが繋がって、夢のある居場所にできたらいいなと思っています。事業承継を経験しているからこそ、それをやりたいと思います。
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