株式会社アド コンダクター
影山 篤(かげやま あつし)さん
アイディアと人脈で企画や社歌を作る広告会社 https://ad-conductor.com/
ラジオ、テレビ、新聞などの広告、テレビショッピングや社歌も
事業は広告会社です。当初は「ラジオ専門広告会社」として起業しましたが、今ではテレビ、新聞など広告全般を扱っています。その他にラジオショッピングのキャスター、「社歌」の制作プロデュースも手掛けています。
しかし、起業前に自分がやりたかった「バスツアーの企画、添乗員」もまだ諦めていません。提携しているバスツアー会社の都合で今は止まっていますが、いずれそちらも手掛けます。
自己分析の結果は 日帰りバスツアーの添乗員?
勤務していた会社からの退職は5年前から考えていました。しかし、広告会社として起業するのではなく、個人事業主でいいと思っていました。
退職する半年ほど前に自己分析をしました。性格、スキル、人脈、やりがいのある仕事・・・。その結果、「日帰りバスツアーの添乗員」という結論に達しました。これには家族も周囲も大賛成! 人を楽しませることにかけては用意周到で、ホスピタリティに長けた私に合ってる、という同僚からのエールももらいました。
また、同時にバスツアーを活用した企画もありました。バスの車内をメディアに見立て、お客様にサンプリングしたりアンケートを取ったりして、企業から広告費をもらうビジネスモデルです。大手旅行会社からは断られましたが、知人から紹介していただいた中堅バスツアー会社からは協力を得られ、(起業してからですが)提携することができました。しかし、先方の都合でまだ実現には至っておりません。
仲間から言われた「ラジオ専門の広告会社を作ってくれ!」
近年、「65才定年」という言葉を聞くようになりましたが、実態は55才で役職定年となり60才で実質の定年。その後は自らが望まない配置転換、年収半減という厳しい現実があります。
私が31年間勤務した広告会社でも先輩達の晩年の姿を見て、いたたまれない気持ちを何年も胸に抱えてきました。60才になってしまうと心も折れるものです。
そこで、自分にエネルギーが残っている55才を機に早期退職制度を活用して、独立を決意しました。この起業を後押ししてくれたのはこれまで取引していた全国のラジオ局と他の広告会社の仲間です。彼らから「ラジオ専門の広告会社を創ってくれ!」と言われたのがきっかけです。
個人でも大手広告会社のラジオ部に匹敵する人脈や関係性
ラジオ局の人脈や関係性では私個人で大手広告会社のラジオ部に匹敵すると自負しています。なぜなら、大手ほどラジオ広告を真剣にセールスしてこなかったから。
私は前職でラジオ広告のセールスのために企画書を年100本書いてました。そうした広告会社は他に無かったからです。また、ラジオという弱小メディアを扱ってきたおかげで、予算が乏しい企業、これまで広告をしたことの無い企業に効果を最大限出すプランニングを提案できる事です。
もうひとつの事業で「社歌制作」があります。社歌というと軍歌のような古臭い歌を想像するかも知れませんが、現代の社歌はPOPな曲が主流です。たとえば矢野顕子が伊勢丹の社歌を、クレージーケンバンドが食品卸問屋の社歌を手掛けたりしています。
私のスタッフにはavexでメジャーアーティストだった者がディレクターにおり、さらには安室奈美恵の「HERO」の作詩作曲者も仲間です。彼ら一流の作家を起用できることが強みです。
予算の無いところから予算を引っ張ってくる
起業して良かったのは、まず、満員電車から解放されたことが大きいですね(笑)。この吉祥寺をオフィスとしたのも、自宅から近いことと街から元気をもらえるからです。
会社のしがらみから解放され自由に仕事ができる環境も良かったことです。前職ではアイディアマンで通っていたので、自分のアイディアを仕事に活かせ、フィニッシュまで携わることができます。
しかし、前職でのスキルはほとんど役に立ちません。広告費が数千万あり、メディアで広告を出している企業は日本の企業の1割もありません。私の取り組む企業はこれまで広告費など無かった企業ですから、彼らに広告の重要性を説くことと予算の無いところから予算を引っ張ってくることが大変な苦労です。
起業を志す方へのアドバイス
起業とは自分の夢を掴むことですが、そこで金儲けを考えてはいけません。「自分の趣味(喜び)+社会貢献」のマインドがあれば、サラリーマン時代よりワクワクした希望の毎日が送れると思います。
アドバイザーからの一言2017年秋の会社設立と同時にKN-labシェアオフィスに入居されました。地域の活動や武蔵野商工会議所等にも積極的に参加して人脈を広げる活動も、いずれ実を結ぶことでしょう。 株式会社マネジメントブレーン代表 静間 俊和 |